
組織に頼らず個人で闘い生き抜いていかねばならない同窓生を、わかりやすいコラムでサポートする「音楽家のためのコラム」入門編 連載第3回目マウスのお話です。
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著作は、
※このコラムでは、主にWindowsコンピュータを対象に説明します。
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Lesson3の流れ
- マウスのお話
- 人とコンピュータの関係はご主人様と奴隷の関係だった
- コマンドプロンプト コンピュータは命令を待ち続ける
- コンピュータから見たご主人様のランク付け
- 言うことを聞かなくなってきたコンピュータ
- マウスの出現がコンピュータの立場を劇的に変えた。
- コンピュータに使われないために
- マウスの基本的な使い方。
- 自分用にマウスを飼いならす。
- 音楽家なら簡単にできる高度なテクニック
今回のテーマはマウスです。
二回にわたってマウスのお話をさせていただきます。
マウスはご存知ですよね?
ではありません。
パソコンを使う時の、
アレです。
第一回目はマウスの出現でコンピュータと人間の関係は劇的に変わった事、そしてその過程を振り返る事によってマウスの本質を知る事です。
第二回目はコンピュータに振り回されず、コンピュータを道具として使いこなすためのマウスの基本操作方法や便利なテクニックを披露したいと思っています。
今では皆さんを含めてコンピュータをマウス無しで使っている人は殆どいないと言って良いでしょう。
そのマウスは1960年代にエンゲルバートさんというアメリカの天才的な発明家によってアイデアが発表されたのですが、一般に有名になったのは、それから約20年後にアップルがマウスを搭載したLisaという革新的なパソコンを発表してからです。
数ヶ月遅れてマイクロソフトも独自のマウスを発表します。
両者の違いはアップルはボタンが一つ、マイクロソフトは左右にボタンが二つあったことです。
このボタン数の違いは、良し悪しは別として、その後の両者のパソコンに対する考え方の違いを象徴する出来事だったことが今から振り返ると良くわかります。
「ボタンが一つだったら誰も迷わないだろう」というのがアップルの考え方です。
マニュアル無しで操作ができる事が創始者スティーブジョブズさんの哲学なのです。
一方明言はしていませんが「複数のボタンの明確な役割分担で高度な機能を追求する」というのがマイクロソフトの考えだったのかもしれません。
Windows で初めてマウスを触った時、クリックしろと言われても左右どちらのボタンをクリックすれば良いのか迷った人は多いのではないでしょうか。
その後時代とともにマウスは変化していきます。
特にマイクロソフトはボタンの数を増やしていったり、スクロールホイールといった指先でクルクル回す部品を追加したり、高度なマウスを続々と登場させます。
一方アップルは頑なにボタン一つにこだわります。
その後少し妥協して右クリックもできるようになりましたが、ボタンは相変わらず一つで、左側と右側で押した後の動作が異なるようになっているのです。
現在ではマウスは両社とも基本的な2ボタンで使うという様式が標準となっています。
こうして普通に使われるようになった、この小さなマウスの普及がそれまでの人間とコンピュータの関係を大きく根底から覆していく事になるのです。
そもそもマウス以前の人間とコンピュータの関係はどんなものだったのでしょう。
これはマウスを使いこなすためにはぜひ知っておいていただきたい基本事項です。
キーボードだけの時代は一言で言うとご主人様と奴隷の関係です。
これは話を分かりやすくするための安っぽい例え話ではありません。
英語でご主人様はマスターです。
そして奴隷はスレーブ。
このマスター、スレーブという言葉や概念はIT関係を勉強していくとありとあらゆる分野で出現します。
例えばバソコンのマスターディスクとスレーブディスク。
2台以上のハードディスクを内蔵しているパソコンは主たるディスクをマスターディスク、それ以外をスレーブディスクとして設定します。
テロ事件の爆発物の処理や原発事故の炉心作業のマスコミ報道などで広く知られるようになった遠隔操作によるロボットアーム。
これも安全な側で人間が操作するアームをマスターアーム、危険な場所で動作するアームの事をスレーブアームと言います。
これ、日本語で言うと結構生々しいですよね。
「ご主人様の腕」、「奴隷の腕」ですから。
図引用 東北大学大学院工学研究科サイト
そもそもご主人様と奴隷の関係とは具体的にはどんな関係なのでしょうか。
一般的には奴隷とはムチで叩いて重労働をやらされる人たち、あるいはアラジンと魔法のランプに現われる何でも言う事を聞く魔人のような存在を想像します。
コンピュータの奴隷概念も大差ありません。
要するに支配者と被支配者が明確であるということです。
でも用語的には問題ありそうですね。
実際欧米でもこのマスター、スレーブというIT用語が「差別的表現」だということで問題にされた事は何回もありますが未だに使われて続けています。
更にコンピュータが人間の奴隷であるということを強く印象づける用語がもう一つあります。
それはコマンドプロンプトです。
コマンドプロンプトの外見はディスプレイ上で点滅するただのアンダーラインです。
Windows以前はコンピュータの電源を入れると画面には最初コマンドプロンプトが表示されるだけでした。
それだけです。コンピュータは人間が何か積極的に働きかけなければ、何もしません。
現在は、起動の後にコンピュータが勝手に動いて画面一杯にカラフルなアイコンや様々なガイドが表示されて、お客を待っているデパートの店内のようです。
コマンドプロンプトなんてどこを探しても見当たりません。
こうした最新のWindowsでもコマンドプロンプトを呼び出す事はできますが奴隷としてのコンピュータを呼び出すには一定の儀式が必要になっています。
その儀式(方法)は幾つかありますが、その一つをご紹介しましょう。
まず画面左下のスタートボタンを右クリックします。
そうすると表示された中に
コマンドプロンプト(C)
があります。
これを選択(左クリック)する事がアラジンの魔法のランプを擦る動作に相当します。
そこで現れたのが魔人たるコマンドプロンプト画面です。
昔に比べると随分面倒ですね。(わざと面倒にしてあります)
この画面で点滅しているアンダーバーがコマンドプロンプトです。
意味は
「ご主人様ご命令をお待ちしております」
です。専門用語では「入力要求」と言います。
コンピュータは入力(命令)があるまで永遠に待ち続けます。
人間が何かを入力すれば反応します。
コンピュータの扱いに手慣れた人間ならば適切な命令を入力します。
命令はコマンドと言います。
アラジンの魔人のように万能の奴隷ならばどんな命令でも実行できますが、現在のコンピュータはそこまで賢くありません。
自分で理解できる命令(コマンド)なら直ちに実行しますが、できない場合や意味が認識できない場合は命令を断ってきます。
例えば「dir」と入力して命令します。
そうするとコンピュータはファイルの一覧をすぐ表示します。
「dir」はファイルの一覧を表示せよというコマンドなのです。
一方「ソラヲトベ」と命令(入力)してみて下さい。
殆どのコンピュータは空を飛べません。
「ソラヲトベ」は内部コマンドあるいは外部コマンド、操作可能なプログラムまたはバッチファイルとして認識されていません。
と答えて実行を断ってきます。
そして何事もなかったかのように再度コマンドプロンプトを表示して次の命令を待ちます。
いつまでも。
コンピュータ(奴隷)の扱いに慣れた管理者(ご主人様)なら、そのコンピュータのレベルに応じた実行可能な命令(コマンド)を次々と入力してコンピュータをこき使っていくのです。
チーズヲクレ
認識できません
1つのコマンドで実行される動作は1つですが、通常は複数のコマンドで意味のある動作になります。
人間であれば「右をむけ」「歩け」「止まれ」「テレビがあるか」「テレビがあればスイッチを入れろ」「戻れ」
というように。
このように複数のコマンドを目的が達成できるように並べて記述し、保存しておいていつでも取り出せるように用意したものが
プログラム
と言われるものです。
マウス出現以前のコンピュータはこのようにコマンドプロンプトの後に直接コマンドをタイプするかプログラムの名前をタイプすることで仕事(タスク、ジョブ)をやらせていたのです。
まさにご主人様と奴隷の関係です。
しかしご主人様は奴隷が理解できる命令を知っていなければ使いこなせないわけです。
一方奴隷であるコンピュータから見たご主人様ですがこちらはこちらでご主人様のランク付けが成されています。
ご主人様の中で一番偉い人が
管理者(アドミニストレータ)で、神あつかいです。
一般の人はユーザー、まあ人間なみってとこですか。
一番ランクの低い人がゲストで、奴隷の方では内心自分の方が上って思っているレベルです。
ちなみにWindowsは最初に登録した人を自動的に管理者(アドミニストレータ)として登録するように作られていました。(最近はアカウントの設定は複雑化しています)
卵からかえった雛(ひよこ)が最初に見た動く物を母親と思うように。
つまりWindowsであればコンピュータ所有者は自動的に最高権限を持った管理者(アドミニストレータ)として全ての命令の実行権があったのです。
個人でパソコンを使っている人はほぼ全員が管理者(アドミニストレータ)でした。
会社など構内ネットワークで使っている場合は部署や個人の権限によってユーザーとして登録(アカウント)される事が多いです。
重要データの取扱を許されないのがゲストです。
個人所有のパソコンをどうしても他人に貸さなければならない場合など、ゲストアカウントを作っておいてそれで起動して使ってもらうといった利用方法があります。
ゲストからは基本ソフトの書き換えや個人情報などの重要なデータへのアクセスができませんから安心というわけです。
コンピュータ側からみると、このようにご主人様のランクによって言うことを聞く範囲を変えて良いということです。
このようなコンピュータと人間の関係ですが、所有者なら当然管理者(アドミニストレータ)であり、神様のような存在であることが当然でいつまでも続く事だと思ってはいけません。
たまたま現在のパソコンが歴史的な推移でこうなっているだけなのです。
そしてこれからはコンピュータの所有者が自動的に管理者(アドミニストレータ)になるという事はなくなっていく方向にあります。
それは、直接コマンド(命令)をコンピュータ(奴隷)にキーボードで与えていた時代から、予め用意されたメニューをマウスで選ぶという方法(GUI)への操作方法の変革と大いに関係があります。
例えばスマホは、すでに所有者は管理者(アドミニストレータ)権限を持っていません。
所有者であってもランクはユーザー、あるいはゲストなのです。
つまりスマホはご主人様の命令を場合によっては拒否できる権限が与えられているのです。
パソコンならアプリの登録や削除は所有者の意のままにできますよね。
でもスマホには消したくても消せないアイコンがいくらでもあります。
使いもしないアプリが満載されていて無駄に電池やメモリを消耗していることに不満を持っている人もいるでしょう。
でも消せません。
奴隷のはずのスマホに拒否されます。
スマホでは所有者は完全なご主人様ではないのです。
お城に軟禁されたお殿様状態というわけです。
人間=ご主人様
コンピュータ=奴隷
この関係をこわしたのがマウスです。(スマホのタッチパネルもマウスと思想は同じです)
マウスの出現によって人間とコンピュータの関係は根本的に変えられてきました。
コンピュータは黙って命令(コマンド)を待つだけの奴隷としての存在ではなくなってきたのです。
命令はコンピュータの側からメニューという形で画面に表示されるようになりました。
そして人間は命令(コマンド)の正しい綴りや書式、作法を覚えていなくても与えられたメニューの中からマウスで選ぶだけでコンピュータにいろんな事を実行させることができるようになりました。
でも、これって本当に人間がコンピュータに命令していることになるのでしょうか。
人間が命令しているように見えても、実際は用意されたメニューの中から選択するだけの自由です。
本当にやらせたい事がメニューにない場合人間はどうすれば良いのか。
所有者が管理者権限を持たず、命令は予め決められたメニューの中からマウスで選択するだけ、といったコンピュータと向かい合った時、最終決定権は本当に人間にあるのか。
次回はこうした現状を踏まえた上でマウスを上手に使ってコンピュータを使いこなすための具体的なお話させていただく予定です。
Lesson4につづく
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